
ソウルボトム (2013version)
歯切れよく疾走するストレートなソウルロック。
「ソウルボトム(2013 single version)」2013/1/12 out
1.ソウルボトム(2013 single version)
2.Psychedelic boutique
3.Sweet relax
[ライナーノーツ] 文:Jeffrey yamada
08年のアルバム「 Feel Like Happy Sad 」に収録のアグレッシヴなナンバー “Soul Bottom”に新たな息吹がふきこまれ、ver.2013 として届きました。ブルーな疾走感がドラマチックに展開される、60sブリットロックのフレイバーにあふれた彼らの代表曲のひとつです。Arctic Monkeys が The Last Shadow Puppets で(その昔には) XTC が The Dukes of Stratosphearでと、わざわざ別ユニットを構えてまで拘ったこの世界観は HAPPY SADの重要なプラットフォームといえるでしょう。ステージでは、オーディアンスとの距離を縮める重要なギアチェンジの役目としてもプレイされることが多いのですが、このバージョンではそのライブでエッジの効いた感覚が思い切りダイレクトに伝わってきます。心地よく歪んだギターのリフに、エモーショナルにインタープレイする宮崎君のベースラインも聴きドコロ。
それは閉塞感に苛まれる主人公の鼓動、息づかいといった人間性の再現。これをバックビートにして、Atlantic / Stax ソウルレビューを彷彿とさせるホーンセクションやコーラスが、リスナーをその先へとナビゲートします。このグラデーションに由来するシンパシーが自分にとってはHAPPYSAD の大きな魅力です。
ラウドでペイズリーなアートロック、”Psychedelic Boutique”、mid 80s のサイファイなALFAサウンドを連想させる(あ、アビーロードもね)”Sweet Relax” ; カップリングのこの2つの小曲は、様々のエレメントが巧みに設え(しつらえ)られたサウンドの空中庭園です。HAPPYSAD aka草野君のマインドガーデンにしばし招待されてみましょうか。
アーティストのサウンドにインデックスつけたり、カテゴライズしたりすることなんて意味がない、とは思いません。むしろサウンドの流通形態が多様化する昨今では、堂々とその影響を宣言し、ある種のプロトコールがリスナーと確立されていること自体がアドバンテージであり、むしろ面白さのポイントだったり。楽観的な自分は時にそれをリスペクトやオマージュとも解釈しています。ルールの中でどうルールを破るか、それって昔から「ロック」のひとつの定義だったりしますよね(笑)。
比較的熱心な(?)HAPPYSADのリスナーを自認する自分としては、丹念に構築したキャンバスを、目の前でどのように爽快に塗り替えてくれるのか、これからの彼らの活動が相変わらず気になっています。
2013.01.08
Jeffrey Yamada
*********************************************************************************************Jeffrey Yamada プロフィール
音楽ライター、翻訳者、通訳。ルーツミュージックからR&B、パンクまで「社会の必然(と偶然)」から生まれた音楽とその背景についての探求をテーマとして活動を続ける。過去の出稿は「アコースティックギターミュージック名盤350」(音楽出版社)、「モンドミュージック」(アスペクト)、「アートオブフォーキーズ」(音楽之友)、「Martin D-28という伝説」(えい出版)、「ロバート・フィリップ」(宝島)など。
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[ソウルボトムについて]
この曲のオリジナルをつくったのは随分前のこと。どういう経緯でつくったのか、今となってはあんまり覚えていません。ただその頃、意味もなく毎日漠然と「曲をつくらなければ」という気持ちで生活していたのは覚えています。
十代の時、自分の考えや思想を音に乗せ歌うシンガーソングライター達をとても好きになりました。彼等は自分の目で見、手や心で触れ、生身で感じた事を率直に曲にして歌っていたから。その後、沢山の音楽に触れれば触れるほど、ひとつの事が明確になりました。それはあらゆる音楽は全てどこかしらで繋がりうる、という事。
どれだけ異なる音同士であっても、それが自分にとって心地よい音であるなら
自由に音と音をつむいで構わない、という事でした。
多くの人が一生の間でそうする様に、僕も色んな仕事をしながら、何だか遠回りをしながら暮らしてきて、たまたま色んな人に出会いました。皆、年齢や性別、国籍や仕事も違ければ、モラルや価値基準も異なります。一つ一つの音は異なるように、一人一人の人間も異なっています。
そのため当然、何か一つ、一人純粋に貫こうとするものがあれば、それが正しくても間違っていても、何かしら人の無理解や疑いに遭遇するもの。そういう事が続けば、もはや人の基準に左右される事はなくなったりします。
この先に一体、何があるのかと不思議な好奇心が沸いてきたり。同時に、自分が自分自身に対して疑いを持ってみたり。そして、その自分の影を蹴飛ばすようにして一日一日を越えようとしたり。時には人の優しい言葉が胸のしがらみを紐解いてくれたり。様々な心象風景が現れて来る。
自分の目で見ている風景、心で感じるものって何なのか。
胸の中の魂のようなものと僕等はいつも対話をしています。
自分の体験で得たものしか、人や世界を理解する事は出来ません。
自分の心と共鳴する人や作品。それを見つけたら、己を誤魔化してはいけない。
自分も表現をしなければならない。
そういう事を当時の自分は言いたかったのでしょう。
今現在も、僕はその道を歩いている途中です。