the other side 4

The other side of urban city life
リリース記念対談
HAPPYSAD × JEFFREY YAMADA
第四回「自分を縛っているものを脱ぐ」

< アルバム「The other side of urban city life」全曲試聴 >

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山田:これで全曲について話したかな?

草野:いえ、「Imagination」についてあんまり話してないかもですね。

山田:あの中国みたいな曲ね。”アジア人としてのアイデンティティ”とアルバムに書いた曲だ。

草野:アジア人としてのアイデンティティ(笑)

山田:平山郁夫みたいなさ。

草野:平山郁夫(笑)

山田:シルクロードのさ(笑)

草野:やってみたいなあと思うのは、シルクロードの楽器を集めて合奏してみたいですけどね。中国とインドって文化と共に楽器も移動してきているわけじゃないですか。我々の音楽文化の原型みたいなところがある。

山田:想像を絶するけどね。あの方々は一曲が三日とかさ。我々の考えがいかにちっぽけなものかってわかるからね(笑)小節で区切って四分の四拍子とか、彼等はまったく理解出来ないからね。

草野:拍とか小節というのは、音楽を系統立てする世界のくくりでしかないですもんね。

山田:弾きたかったら、ずっと弾けみたいなね。

草野:民族音楽学者の小泉文夫さんが色んな国の民族音楽をフィールドレコーディング(野外録音)で沢山残していまけど、聴くと面白いですよね。拍も自由だし、メロディ、コードに縛られていないから、全然新鮮というか。

山田:ということは、昔の人は全然自由だったんだね。

草野:あ、意味ありげな話にむかいそうですね。

山田:今の時代になると、こうやってプラスティックの箱にパッケージされて・・・。

草野:いいですね。こうやって苦労して、皆で頑張って作った作品を僕等自身で完全に否定するという(笑)

山田:その歴史が圧縮されてここに入っているという。

お湯をかけると圧縮がなくなって大きくなるというようなね(笑)

草野:ドラえもんの道具みたいな(笑)
でも昔の人は自由だったんでしょうね。
理論や理屈の体系づけもあったんでしょうけど、そこからはみ出すものも大いにあったでしょうね。

山田:こうやってパッケージが出来てグッとくるって、なんなんだろうね?
なんだかんだで音楽のパッケージ感ってさ。

草野:やっぱり僕等って、そのパッケージを買ってきた方の人々じゃないですか。この中に夢がつまっているというか。中古盤屋で「コレいいんじゃないか」って思って、試聴して買っていって。で、家に帰る前に喫茶店かどこかで中身を開けて、中のライナーノーツを読んだりって、僕はよくやってたんですけど。

山田:ああ、よくやる。

草野:で、家帰って音を聴くっていう一連の流れ。これは配信だけでは味わえない部分ありますよね。

山田:今の子達ってさ、音楽がパッケージっていう概念がそもそもないから、どうなんだろうね。もともと何曲かを一まとめにするみたいな感じ、その感じ自体がさ。クラシックでも第何楽章とかってパッケージにしてるけど、曲を集めてパッケージにするっていうのはどういうことなんだろうね?

草野:音楽って本来パッケージではなかったはずですしね。

山田:パッケージにして、コンセプトアルバムなんてものが出てくる時代があったわけじゃない。それこそビートルズの「サージェントペパーズ」とかビーチボーイズの「ペットサウンズ」とか。(一つのアルバムの中で大きなテーマに沿って楽曲を収録しているものをコンセプト・アルバムという)庭をつくるというか、ガーデニングの世界だよね。

草野:ビートルズの「サージェントペパーズ」は、アルバムの世界観をライブで再現することを前提として作っていないわけじゃないですか。あれだけ色んな音を多用しているので、生演奏で再現出来なかっただろうし。今だったらサンプラー使えば何かしら出来るでしょうけど。

山田:今回のHAPPYSADのアルバムもライブで再現出来ない部分、多いにあるじゃない。

草野:もちろん。いつも作っているものに比べると、本作はライブでの再現をしようと思っていない曲が多いです。とくに歌のないインスト曲は。歌ものに関しては、もともとギターやキーボードと歌だけで最初つくるので、バンドでも、弾き語りでも演奏は出来ますけどね。 いい曲って、アレンジをなくして歌とギター、もしくは歌とキーボードだけで成立しますよね。

山田:そうですよ。手拍子だよ。

草野:手拍子で成立する。大丈夫でしょうか、お父さん酔っ払ってきましたけども(笑)

山田:いやいや酔っ払ってないよ。ジンジャーエールで(笑)
そういやこの前、「仕事は仕事、趣味は趣味って割り切るのって
どうなんだ?」て話を人としていたんだけどさ。

草野:ええ。

山田:「いや、僕は仕事と趣味は別だから、普段何をやっているかは言わない」とか言う人がいる。僕もそういう時期があったんだけど、最近はどうでもいいというか。最近ではむしろ(仕事と趣味の)同期がとれてる感じ、っていうの?

草野:わかる気がします。仕事と趣味がシンクロしてゆくんですね。

山田:うん。大きい会社で偉くなる人ってすごく仕事するじゃない?

もう信じられないくらい仕事するわけよ。
やっぱり好きだからね。

例えば朝の八時にさ、会社の若い連中20人くらい集めて

「今からミーティングだ」とか言って。

みんな「何を考えてるんですか」って思う感じ。

草野:おそらくウチの父親がまさにそういうタイプだったのではと思います。

山田:そういう人達って多分好きなんだろね。

バンドやってるのと同じ感覚というかさ(笑)

草野:そうなんでしょうね。ただ、バンド的な感覚がなくて、
一方的に人に主張を押し付ける方も大いにいると思いますが(笑)

山田:そういう時って脳内物質が出るのが同じなんだよきっと。

草野:人が快感を感じる部分ですね。

山田:それと同じような感覚を得るためには、注射打てばいいんじゃないかとか冗談で言っててさ(笑)

草野:危険な方向に(笑)HAPPYSADの本アルバムも快感物質かも知れない。

山田:ドーパミンなんだ(笑)

草野:ドーパミン出るといいんですかね。

本当か知らないですけど、前になんかで読んでたんですが、
「朝の起き方」が大事だとかいいますよね。

つまり、根本的にはポジティブなほうが脳にはいいわけですよ。
寝床から起きる時にグズグズやってると、

結局一日中頭がグズグズやってるという。

山田:なるほど(笑)

草野:で、それをしないためには、「目が覚めた時に”ああ、よく寝たな”と思い込む」ことが大事らしいです。思い込んで、二回くらい大きく伸びをする。伸びを戻す時に息を大きく吐くと。 脳というのは思い込みに弱く、人間が思い込んだ方向に身体をもっていってくれるんですね。

山田:僕もあるんだけど。目覚まし時計が鳴る10秒前に目が覚めることってない?あれも自己催眠の一種とかいうよね。例えば、毎朝六時半に目覚ましをセットする。でも、目覚ましが鳴る前の六時二十九分に目が覚める。あれって不思議だよね。

草野:そうですね。

山田:一説によると、人間の頭の中で前後関係が入れ替わるっていうことみたい。本当は音が鳴って目が覚めているはずなのに、目が覚めてから音が鳴っていると頭が認識しちゃってる。順番が入れ替わっちゃうんだね。

草野:岡本太郎さんか誰かの笑い話みたいですね。お盆にお茶を乗せて運んでいる時に、部屋の段差のところまで来て「あ、これはコケそうだ」と思ったので、お盆をいったん脇に置いて、段差でコケてからお茶を運んだという(笑)

山田:(笑)
デジャヴってあるじゃない?
「以前に見たことがある」っていう。
あれも一説には、すでに見ているのに、すでに見たように頭が思い込んでいる、ということみたい。時間軸が変化しちゃっている。

草野:前後関係が入れ替わってるんですね。曲つくっている時もそういうのあるのかなあ。

山田:ああ、そういうのあるんじゃない?いい意味でデジャヴじゃん。既視感があるっていうことは。

草野:まあ僕の場合は単純に、ものを聴いて「こうしたい」と思ってるのではないかと。

山田:そこって難しいじゃん。聴いたまんまで行っちゃうか、そうでないかっていう境界線がさ。

草野:聴いたまんまにはならないですね。既存曲のコピーをしたいわけじゃないので。どちらかというと「自分になりたいので音楽やっている」という感じですかね。まあでも、それも脳的に見たらどうなんでしょうかね?
前後関係が入れ替わってたりして。実は何かしらのコピーをし続けているだけなのかも知れない、という解釈も出来てしまう。

山田:どうなんだろうなあ。音楽って「表現したいことを弾く人」と、「もう表現するものがそこにあってそれを弾く人」と分かれる気がする。僕は確実に後者のほうなんだけど。もう一方の前者のほうって、「真っ白な紙に色んなものを書く」っていうことだと思うんだけどさ。どっちが自由なのかね?

草野:どっちも自由さはあるんじゃないですかね。

山田:僕思うんだけど、「自由」ということって実際は不自由なんじゃないかって。

草野:「Free me」という曲がアルバムに入ってますが(笑)
自由を求める人って、不自由だから求めてるんですよね。これってソクラテスの世界ですね。

山田:「自由」って字があるじゃない?
「Freedom」という概念を「自由」と翻訳したのは福沢諭吉なんだけど。
「自由」の意味は”自らをもってよし(由)とする”ということ。つまり、自分が存在理由なわけ。

草野:はい。そうですね。

山田:自らが理由だと言っているわけ。それってすごいことだよね。

草野:そこに主張が入ってるわけですね。
「自由」という概念を言葉化した時に、それは限定的な意味を帯びてくる。
それは本当に自由なのか?っていう逆の概念をあらかじめ含んでいる、
というものでもありますけども。

山田:一見、自由というのは何ものにもとらわれないとものだと言いながら、実はそうではないという。

草野:「Freedom」とか「Free」を歌っている曲って昔から世の中沢山ありますよね。あれはやはり、その時代ごとに不自由さを感じているから歌うんでしょうね。「自由」という言葉が出てこない自由な人って、もしかしたら鈍感なだけなのかも知れない。

山田:この「Free me」は何からの「Free me」なの?

草野:自分自身からの「Free me」ですかね。
前に禅かなにかの話であったじゃないですか。「道端で仏さんに出会ったら仏を殺せ」っていう言葉がありますけど。(禅宗の言葉「仏に逢うては仏を殺せ」)ああいう感じですよね。

山田:ほう。

草野:「Stand by me」も同じですね。
何処を歩いていっても、人が沢山いる街のど真ん中を歩いていても、
人のまったく歩いていない薄暗い道を歩いていても、どちらにしても結局そこで出会っているのは自分自身なのだと。

山田:そうか。確かに。

草野:物理的にいま目に見えている風景、それは外なのか部屋なのかわかりませんが、よく考えてみれば、人は沢山の情報量の中から、わりと自分が見たいものだけを選別して見ているのものだと思います。そしてその時、自分や自分がこだわっているものとそこで出くわしているわけです。自分自身と遭遇したら、表面上のことやつくろった嘘をついてみても無意味ですよね。
自分に嘘ついてもバレますから。ある種の緊張をふくんだ瞬間なわけです。自分を取り巻く世間がどうであるとか、状況や環境がどうであるとか、ものごとを進めてゆく時に言い訳にしても意味がない。自分がどうしたいか、どんな風景を見たいか、ということが最終的な答えになる。そういった、人の中にある不自由さが曲を作るんじゃないですかね。本当に自由だったら、曲を作る必要性がないですもんね。

自由を求める不自由さが作品を作ろうとする。
ある意味、もともと人間は自分に拘束されているんです。
その拘束着を脱ぐところから色んなことが始まるのではないでしょうか。

対談第五回に続きます