誰でも生活の中で言葉を使うけれど、言葉は様々な形をしてる。
言葉を流暢に話し慣れている人のすらすら出てくる言葉もあれば、言葉はなかなか出てこないけれど、説得力があるなという言葉もあったりします。
相手の言葉の波に乗るようにして、合わせながら用いる言葉もあれば、ただ人から情報を引き出すために用いられる、マニュアルに載っているような言葉もある。同じ言葉でも、そこにのっかっている気持ちは異なっていて、じっと耳を傾けていると、音としての言葉ではなくて気持ちの方がしっかり聴こえてくる。
簡単な例として、あるところに若い男の子と女の子がいたとして、お互いに好意を持っていたとする。けれども、それぞれが持つ好意から発せられる言葉はみんな同じではなかったりしますね。
「相手に伝えたい」という気持ちから出る言葉かも知れないし、「知られたくない」という気持ちが先行して出る言葉かも知れない。友人・知人でも、飲み屋で遭遇したおじさんでも、通りがかりで傘を貸してあげたお姉さんでも、誰に対してでもいいんですがいい時間を過ごしたな、と思えるときってほぼ、相手の気持ちが聴こえた時なんですよね。物理的な音声としての言葉ではなく。
それは一方通行ではなくて、相互に気持ちが聴こえている関係が一番いいわけです。気づいたら自然に長い付き合いになっていたな、という人たちのことを考えてみると、そういうことなんだろうと思います。
人間に生まれてきて面白いことの一つは、こういう類のことは勉強して覚えられるものじゃないってことです。技術的な言葉を知識として覚えたとして、それが気持ちののっていない言葉ならその言葉は言えない・使えない方がいい。
目的地があって、そこへ行く最短距離を選ぼうとするとその間で見える風景は少なく乏しいものになってしまうでしょう。それとは逆に、目的地を遠回りしたら、その間に色々な風景を目にして、最短距離をとろうとしていた時よりも、色んなものが見えるようになっているかも知れない。そういうこともあるんじゃないかな、と思います。