Living in the material world

ビートルズのメンバー、ジョージ・ハリソンのドキュメンタリー映画「ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」をようやく観ました。

この映画はジョージの家族、ビートルズの仲間たち、交流のあった人々のインタビューを中心に構成されていてとても興味深かったです。
時代の脚光を華々しく浴びたバンドにいながら、仏門の僧侶のように、次第に精神世界の求道者になってゆく姿と、その一方で様々な分野の人々と交わり、非常に社交的であったということが淡々と映画の中で語られています。

自分の内面を掘り下げてゆくことと、他人に対して社交性を持つことは矛盾しない。という面が、この映画で語られていることの中でとくに惹かれる要素でした。

ジョージが自作の楽曲で歌っている内容は老荘思想/タオイズムに近いものがあって、物質世界や人間の争いの馬鹿馬鹿しさを取り上げたものと、慈しみと皮肉が入り混じっているものが多い。

晩年は暴漢に刺されたり、病気を患い、体調を崩して2001年に亡くなってしまう。ジョン・レノンやビートルズが歌っていたことや主張していた内容はこのジョージの姿と重なる。

それは、もしこの世に平和というものが存在するなら、どうすることによって平和はもたらされるのか、という問いかけのよう。

世の中で、力や暴力によって物事を解決しようとすることは根本的に誤りであるということ。そして、自分に常識があると思っている人は、自分を疑わないので、そういう事を行ったりする。

力でもって他人を押さえつけようとする、という方法は、他の手段を持たないことの証明であり、何の解決も生まないばかりか、自らを誤りであると言っているようなもの。大切なのは、根底で他者に対して穏やかな気持ちを持ちながら、他者に甘えず生きていることだと思う。

そう思っていると、不思議にそういう人たちに囲まれてゆく。

面白さや喜びを共有できる人たちとつながってゆく。
それが平和の面白さかも知れない。

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