essay

たまたま糸井重里さんのエッセイを読んでいたら、そういうのあるよなあ、という文章にたまに出くわす。

僕はけっこう遠回りして生きてるのと、道標もなく、音楽でやってこうとするなんていう全然人の理解のない道を歩いて来たから、言ってることがよくわかる。

素朴に自分の友達や、自分の好きなこと、よかったなと思える小さな出来事を大切にできるようでいたい。

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(エッセイより)

おそらく、ほんとうに「たいしたもの」である人は
「たいしたことない」人のことを否定しないと思うよ。
しっかり「りっぱなことを考えている」人ならば、
「りっぱなことを考えてない」人のことを、
バカにしたりしないに決まってると思うんだよね。

「たいしたもんだと思われたい」人が、
「たいしたことない」人をさげすんだりするし、
「りっぱなことを考えると思われたい」人が、
「りっぱなことを考えてない」人を生みだすわけだ。

「偽のりっぱなことを考えてる人」が、
あれはいけない、これはけしからんと言いたがる。
ぼくが、あんなふうになりたいなぁと思う人は、
たいてい、じぶんで「たいしたことをしてない」と言う。
「いずれ、ああなったらこうなったらうれしい」と言う。
そして、「たのしいからやっている」と言う。

「たのしいことをやっている」ものだから、
ついついまわりからも「たのしそう」に見えてしまう。
ぼく自身は、あんなふうになりたいなぁと思う人より、
ずっと偽物なのだけれど、「ま、いっか」と思う。

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