学生の時に読んだ坂口安吾のエッセイで、宮沢賢治の詩「眼にて云ふ」が好きだと、書かれていた。
そんなきっかけで、神保町か下北沢あたりの喫茶店かどこかで、この詩を読んだ記憶がある。絶望的な状況の中でも、一向に文句を言わず、うつくしい風景を見ている詩の中の主人公を詩を読む側の我々はうつくしいと感じてしまう。
宮沢賢治の亡くなる直前、病床にいた頃の詩だから賢治自身が目の前のことを書いているのかも知れない。自分がこれを出来るかというと、できないと思う。けれど、馬鹿なことを愛するのと同様に、きれいだなあと思うことを大事にしたい。
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「眼にて云ふ」 詩:宮沢賢治
だめでせう とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。