少し前に島へ行ってきました。
浜辺に座っているだけで禅な感じで、
身体の力が完全に抜けきって、いい塩梅でした。
まだ自分の一生の旅は始まっていない気がします。
この先また、目に見えている風景が
とても大きく変わるような、そんな気がするんですね。
人間の常識感は、
過去に教わってきた偏見の総称みたいなもので、
心の広さや狭さを目にすると、それを感じます。
得とか損とか、景気よく振舞うこと、
そういうことが行動の目的にすり替わり、
それが正しいことであるかのように話す人もいるんだけど、
いつもすごく違和感があります。
そんなこととは無縁に、
素朴に生きている生き物や人の姿が魅力的に見えたりします。
ヘルマン・ヘッセの著作にお釈迦さんをテーマにした
「シッダルタ」という作品があるんですが、
これは、修行僧である主人公が色んな体験をするお話。
修行僧なので、禁欲生活を送るわけだけど、
自分の育ってきた価値観と正反対の場で、
とても欲望にまみれた生活も体験する。
あらゆるものごとは対極的だから、
両側を見た上で自分を中庸に置かなければ、
純粋な目で物事を見ることは出来ない。
そんな彼が作中でとても心打たれるのが、
舟渡をしながら素朴な生活を送る人物。
舟渡の無理のなく、自然体な生き方に感服するシーンがあります。
この物語はヘッセ自身の生活も、考え方も
多分に反映されている作品の一つと言われているんですが、
なんか、ここにいると、そういうことが思い出されました。
人間の快感原則は、肯定感の感じる場所に向かうこと。
不快を感じる場所から遠ざかる。
これは真理な気がします。
本当にあらゆることは、それだけなのかも知れません。